コミックエッセイ-モノクロ家計簿

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コミックエッセイ-モノクロ家計簿

ミニマリストのコミックエッセイ。物と丁寧に付き合いながらミニマリストを目指している様子をコミックエッセイで綴っています。お出かけ・ダイエット・趣味の話も

答えはいつも自分の中に。他人との比較は捨て去ろう。

ミニマリスト ミニマリスト-考え方
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最近の私はミニマリストはどうあるべきか、これでいいのか、みんなはどうしているのかとモヤモヤしていた

ミニマルちゃんはどう思うと聞いてみた

ミニマルちゃんは、他人の作った基準に自分を無理やり押し込めようとするのは苦しいだけだろ?と言います

私は元々、他人に合すのが下手くそなのに、人と比べるから悩むんだろうと怒られました

ずっと周りから見下されたり、周りと違う自分に悩んで辛かったんだから、もう自分がこうしたい!で充分だよ"

涙がこぼれました"

ありがとう。もう他人と比較するの辞めにするね

ミニマルちゃんと私

最初は自分の独白だけの場面を漫画で表現するにも限界を感じ「もうひとりの自分」をキャラクターとして作り上げ、対談形式にしてみました。そこには深い考えもなく、絵面が埋まればいいかなくらいの軽い気持ちで生み出したキャラクターでした。

趣味を断捨離しました - 《コミックエッセイ》モノクロ家計簿

それをエリサさん(id:erisalife)に名前を付けてもらった頃から輪郭を持ち出し、気づいた頃にはミニマルちゃんは「理想のなりたい私」になっていました。ミニマルちゃんはとても強い子です。自分の考えに自信があります。私が知りたい答えをいつだって持っています。だって彼女は「私の理想」なのですから!「それってお前の頭の中で完結してることちゃうんか?」って言われそうですが、まさにその通りです。

そもそも世間一般の考え、他人の考えに自分を押し込めて無理やり納得させるから苦しんだ

ということに、今やっと気づきました。

標準でない私

自分が世間の標準ではないことに最初に気づいたのは幼稚園に入園した時でした。

「あれ?なんか私、みんなより大きい?」

自分が太っていることに、初めてその時気づきました。そして、近所の仲良くしていた子たちからも急に距離を置かれるようになりました。クラスが違っただけかな?とも思ったのですが、露骨に距離を取られたので、たぶんあの子たちも「なんかこいつ、みんなと違う」というのに気づいたんでしょうね。

思春期に入ると、オタクになりました。今みたいにオープンな風潮ではなく、まだまだ「オタク=き〇がい」の考えが根付いていたころです。同じオタクの友達がいなかったわけではありませんが、それでもやはり少数で、クラスでも浮いていました。

太っている・オタク。このダブルコンボが決まれば異性はもちろん、同性にもだいたい距離を置かれます。みんな私を勝手に自動的にヒエラルキーの下に設定します。私の頃にはそういう言葉は無かったですが、所謂スクールカーストってやつですね。時には心無いことを言われて深く傷つきました。自分がみんなに笑われているのも知っていました。でも

「私が人より太っているから、オタクだから、仕方ないか」

と思い諦めていました。友達がいたので卑屈で暗く過ごさなくてすんだのが本当に心の支えでした。

家族とすら同じではありませんでした。私が好きなものはだいたい「変なの」って言われました。やりたい事は「そんなことしてどうなる?」と批判されました。兄弟で一人だけ勉強もできませんでした。部屋も汚く使っていてよく怒られました。同じだけやっていた習い事の書道も姉や兄はたくさん賞状を受賞し、表装された作品は今も実家の応接間や玄関に飾っています。私は1つも額に飾れるようなものはありません。

「私がお姉ちゃんや、お兄ちゃんと同じように出来ないから悪いんだ」

と諦めていました。(誤解ないように言いたいですが、もう済んだことですし、かわいがって育ててもらった自信ももちろんあります。家族とは仲はいいですよ)

過去の自分の悲鳴

学校でも、家でも、ずっと周りと同じでいれない自分が辛かったし、辛いくせに周りに合すというのも苦手で、できていません。当時はそれがもう当たり前になっていたので気づきませんでしたが、

あの頃の私はその事に深く傷ついていたこを、さっきようやく気づきました。

過去の自分が気づかないフリしてやり過ごした分なのでしょうか、今涙が止まりません。こんなにも苦しかったんだなと、時間をおいてやっと気づいてあげれました。もちろん、大人になってからも様々な事を人と比較し悩んで傷ついてとたくさんありました。他人のと比較で苦しい自分に気づかせてくれたのがミニマルちゃんでした。

ミニマリストを目指して見えた理想の自分

物が発する「音」というのは非常に大きなものです。実感されたことのない方にはわかりづらいかもしれませんが、私には「音」としか表現しきれません。その音はちゃんと調和がとれた状態でなら美しいメロディーになってくれますが、雑多に持ち込まれ置かれた物たちは好き勝手にいろんな「音」をだし、調和がとれず「雑音」となります。「雑音」を発し続ける部屋に長時間身を置くといろんな感覚や思考が鈍く散漫になり、自分はどうしたいのか、何がしたいのか…自分のことなんか見えなくなるし、むしろ

見たくないから「雑音」の中に埋もれていたい

とすら思っていたのかもしれません。

断捨離を通してそういった雑音を少しずつクリアにしていくと、理想のなりたい自分が見えてきたと同時に、目をそむけていた自分の見たくないところが否応なしに目に入ってくるようになりました。ミニマルちゃんとの対峙は

理想の自分の確認であると同時に、見たくない目をそむけ続けた自分の現状の確認

でもありました。雑音がクリアになった空間は単純に居心地がいいだけでなく、本当に自分が向き合うべきものがクリアになって、問題点に気づき、成長していこうという気持ちになれます。ミニマリストは向上心の高い方が多いのはそのためのような気がします。

 最近頻繁になにやらモヤモヤと感じ、わけもなくしょんぼりしてしまうことが多かったのですが、見たくない自分の確認をしているので、そりゃ落ち込むわなと、なんだか納得しました。この辛さはきっと成長の痛みなのだろうと思うと、受け入れれそうです。

 これからの自分の行きたい方向

 世間の標準に溶け込めない分、自分の幸せが世間一般の正解は当てはまらなそうだしで、ゴールがどこかも分からない私の人生ですが

「理想」という目標ができたことによって「道しるべ」ができました。

自分で突き進むしか術がないので苦労はあるかと思いますが、もう大多数の人が考えるセオリーの基準に惑わされることなく進んでいこうと思います。まだまだ技量も足らず精神的にも弱く幼い私がどこまで辿りつけるか分からないし、道しるべがあっても迷うことは多々あります。そんなバタバタやモヤモヤをこれからもブログに書き続けていくと思います。ミニマルちゃんと一緒に暖かく見守っていただければとても嬉しいです。

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